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東京高等裁判所 平成2年(ネ)4222号 判決

控訴人 国

代理人 石井宏 小此木勤 ほか三名

被控訴人 住野直春

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

主文第一ないし第三項と同旨

2  被控訴人

本件控訴を棄却する。

二  当事者双方の主張は、当審における主張を次のとおり付加するほか、原判決事実摘示(ただし、原判決書二枚目表四行目「物件目録記載一記載」を「物件目録一記載」に、同三枚目表末行「不知」を「認め」にそれぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人の主張

(一)  本件土地の占有状況について

本件土地は、その上空に高圧線が通っているため、建物がなく空地となっており、昭和二四年ころは本件土地の北側の道路から出入りができる状態であり、昭和四三年ころまでは飲食店、牛乳販売店、染物屋等長屋の賃借人の利用する場所であって、それら長屋の店への客の通路として利用されていた。また、昭和四三年一二月ころ以降は付近住民の自転者置場として利用されてきたものであり、これらの事実からすれば、被控訴人が本件土地を排他的に占有使用していたものとはいえないものである。

(二)  所有の意思について

取得時効の要件とされる所有の意思は、占有者の内心の意思によってではなく、占有取得の原因である権原または占有に関する事情により外形的、客観的に定められるべきものであるから、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、または占有者が占有中、真の所有者であれば通常とらない態度を示し、もしくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的、客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情が証明されるときは、占有者の内心を意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張は排斥されるべきである。

(1) 被控訴人が昭和二一年ころ本件土地及び原判決添付物件目録二ないし五記載の土地(以下「本件外土地」という。)を訴外会社から借り受けて占有していたもので、被控訴人が昭和二三年四月に訴外会社から買い受けたのは本件外土地のみであるから、被控訴人は、本件外土地については昭和二三年四月の売買により親権原を取得したものと認められるものの、本件土地については、当初所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得したもので、その後も民法一八五条に定める自主占有への変更があったとはいえない。

(2) さらに、被控訴人の本件土地の占有中の態度、行動等には次の事実があって、被控訴人の本件土地の占有は所有の意思のない他主占有であったことが明らかである。

ア 被控訴人は、訴外会社が、その所有する道路敷地と東京都が管理する本件土地を交換し、本件土地を被控訴人に売り渡す約束をしたというのであるが、宅地建物取引主任者として専門的知識を有する被控訴人が、その後長期間にわたって訴外会社に対し、何らの請求または確認をすることもせず、長期間登記を受けずに放置していたものであり、公租公課も納付していない。

イ 被控訴人は、同人所有土地上に昭和四四年一二月四日鉄骨・鉄筋コンクリート造地下一階付き陸屋根九階建の建物(住野ビル)を新築しているが、同建物表示登記申請書に添付された建物図面には、本件土地が無番地の土地として図示され、これを建物の所在(敷地)たる土地とは明確に区別し、表示している。

ウ 被控訴人は、本件土地の西側隣接地所有者と国との間の別件訴訟(東京地方裁判所昭和六二年(ワ)第一〇九三八号事件)の参加人として、その第一二回口頭弁論において、本件土地がいわゆる赤道であること、すなわち国有地であることを前提として、これと隣接地との境界について述べている。

エ 大島測量設計株式会社の土地家屋調査士大島章新は、昭和六一年一月二一日、被控訴人及び本件土地の西側隣接地の当時の所有者大沢東立会いのうえ測量を行ったが、その際作成された測量図には、注記として「国有地(道路)の位置は、大澤、住野両地主…双方地主は確認した。」と記載されている。大島土地家屋調査士は右測量時に本件土地が国有地である旨被控訴人に説明しており、さらに、被控訴人は、昭和四二、三年ころ、大沢東との間で本件土地につき境界確定申請手続について話し合い、公共用地境界査定願い書を作成して査定の手続をしようとしたり、昭和六一年二月ころ右両人間で国有地の払下げに関して話をしている。

(三)  法定外公共用物の時効取得について

本件土地はいわゆる里道であって、講学上法定外公共用物とされるものであるが、公共用物について黙示の公用廃止があったと認められるためには「公共用財産が、長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることもなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった場合には、右公共用財産について、黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効の成立を妨げない。」とされる。

これを本件についてみるに、1の(一)に記載するとおり本件土地が昭和四三年ころまで通路として使用、利用されていたものであり、当時公共用物としての形態、機能は失われていなかったものである。

2  被控訴人

(一)  控訴人の主張(一)のうち、本件土地が空地であり、飲食店等の賃借人が利用していたことは認め、その余は否認する。

同(二)の冒頭の主張は争う。同(1)の事実は否認する。同(2)のうち、被控訴人が控訴人主張の境界査定手続をしようとしたこと及び昭和六一年二月ころ払下げについて大沢から話があったことは認め、その余の事実は否認する。被控訴人が控訴人主張の境界査定手続をしようとしたのは、あくまでも登記名義上の境界を確定するための便宜上のことであって、本件土地が国の所有であることを確定的に認めようとした趣旨ではない。また、昭和六一年二月ころ国有地の払下げについて大沢東から話があり、被控訴人は、国有地の存在は意識したが、自分の土地であるという意識が強かったので、払下げを受けることを拒否したものである。

同(三)の後段は否認する。

(二)  被控訴人の反論

(1) 本件土地の状況

本件土地は、当初から北側の道路面より少なくとも五〇ないし六〇センチメートル高く、しかも本件土地と北側道路との間には、大谷石の塀が設置されていたので、本件土地は公道面から仕切られて、一般人が通行できるような状態ではなかった。本件土地は、被控訴人所有の建物の賃借人である牛乳屋、クリーニング屋、染物屋などが洗濯物の干し場や洗い張りの物干し、牛乳屋の空箱、空瓶の置場として使用していたものであって、これらの店の客の通路として使用されていたものではない。右賃借人らの店舗の入口は、各建物の東側にあったのであり、本件土地はこれら店舗の裏側に位置していた。このことからも、本件土地が客の通路として使用されていたものでないことは明らかである。

なお、昭和四二年ころ、被控訴人は、本件土地もその敷地の一部として住野ビルを建築した。その際、被控訴人は、本件土地の地下部分に、当初は住野ビル用の浄化槽として、その後は防火用水を設置し、地上部分は駐輪・駐車場とし、また、北側道路に面して木造建物を建築し、ここを原田武一に賃貸している。防火用水設置は、付近住民の防火安全のために協力しようとの趣旨で設置したものであるが、所有権はもちろん被控訴人に属する。駐輪・駐車場は誰に対しても自由な使用を認めているのではなく、住野ビル一階のパチンコ店(成城ニュージャパン)の客用の駐輪場としてのみ認めているものである。

(2) 本件土地の南側には木が植えられ、北側部分はマーケットの賃借人らが洗い張りの物干し場であったり、牛乳屋の空瓶やおでん屋のビールのケースの置場となっていて、人が通行することはできなかったものである。したがって、本件土地については、黙示の公用廃止のすべての要件が満たされており、黙示の公用廃止があったというべきである。

三  証拠の関係は、原審記録中の書証目録・証人等目録及び当審記録中の書証目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  売買による所有権取得について判断する。

1  被控訴人は、訴外会社が昭和二三年ころまでに本件外土地の西側に隣接する本件土地を交換により東京都から所有権を取得していたものであり、昭和二三年四月ころ、右会社から本件土地と本件外土地(原判決添付物件目録一ないし五記載の土地)を買い受けたと主張する。

2  請求原因2(一)のうち、訴外会社が昭和一七年ころ本件外土地を所有していたことは当事者間に争いがなく、右当事者間に争いのない事実と、〈証拠略〉によれば、被控訴人は昭和二三年四月ころ訴外会社から本件外土地を買い受け、同年五月六日にその旨所有権移転登記手続がなされたこと(ただし、登記原因は、昭和一七年七月三日売買となっている。)が認められる。

3  しかしながら、訴外会社が昭和二三年ころまでに本件土地を交換により東京都から所有権を取得していたものであり、被控訴人が昭和二三年四月ころ訴外会社から本件外土地を買い受けた際に、西側に隣接する本件土地も同時に買い受けたという被控訴人の主張事実に沿う証拠は、原審における被控訴人の供述のみである。被控訴人は、原審において、「住野ビルの敷地を取得したのは昭和二三年ころです。その土地の移転登記手続をした昭和二三年より二年くらい前に売買の話がありました。その時の契約書等の書類は元々有りません。道路交換というのはこの図面の真ん中より上の部分と本件の赤道部分を交換するという話のことです。第一住野ビルの土地の売買は、四筆の土地以外に赤道部分も含めてということでした。」と述べており、他方、控訴人指定代理人の質問に対して、「『赤道になっているがこちらで土地の交換手続きをやってあげるよ。』といわれました。」、「私は代金を支払っただけで、後は相手の方で任してくれと、それできちっと交換して登記手続きをしてあげるといわれました。」と述べている。

被控訴人の右供述は全体に不明確であるが、特に、本件土地の交換に関しては、被控訴人が訴外会社から昭和二三年四月ころ本件外土地を買い受けたという時点で、交換の話が誰と誰との間で行われ、また対象となる土地がどれとどれであるのか等交換契約の内容が具体的でなく不明確であるばかりか、交換契約が成立していたのか、将来交換により取得する予定であるのかが定かでなく、被控訴人の交換に関する供述はそれ自体極めて信用性が薄いといわなければならない。さらに、訴外会社と国との間に交換契約について書面が作成されたことを窺わせる証拠も存在せず、本件土地について公用廃止の手続が採られていないことは被控訴人の自認するところである。これらの事情を考慮するならば、被控訴人の交換契約に関する前記供述は到底措信することはできないというべきであり、他に交換契約がなされたことを認めるに足りる証拠はない。

次に、被控訴人は訴外会社から本件外土地の他に本件土地を含めて住野ビルの敷地を買い受けた旨供述するが、被控訴人の供述するとおり、本件土地の売買契約については契約書は作成されず、口頭によるものである。しかし、本件土地は東京都の管理する国の道路用地であり、一方、本件外土地は訴外会社の所有地で後記認定のとおりはじめ成城町会その後被控訴人が賃借している土地であって、両土地は所有権の帰属と用途において明らかに違いがあるところ、訴外会社が所有権を取得していない国所有の道路用地を自己が所有し被控訴人に賃貸中の土地と一括して売買の対象とし、しかも契約書も作成していないということは極めて不自然である。また、被控訴人と訴外会社間の土地売買の領収証である〈証拠略〉によっても本件土地が売買の対象地とされたことは認められず、〈証拠略〉は被控訴人の供述によると本件土地を買った時の図面であるが、この図面の作成者が明らかでなく、内容によっても被控訴人の主張を認める証拠とはならない。かえって、〈証拠略〉によれば、本件外土地は、田の字型に接する一体の土地であり、北側が東西に通じる道路と南側は電鉄会社の鉄道用地に接して存在し、右目録二と四の土地が北側道路に接し同二の土地が西側に、同四の土地が東側に存し、同二の南側に同三の土地が、同四の南側に同五の土地が存し、同三と同五の土地は南側の鉄道用地に接していること、本件土地は右目録二と三の土地の西側に隣接する南北に細長い土地で北側は東西に通じる前記道路に接し、南側は前記鉄道用地に接し、高圧線下で建物の建築ができない土地であること、本件外土地は、元訴外会社が所有する鉄道用地であったが、昭和一六年九月使用廃止となり、昭和一七年ころから成城町会が農園として利用していたものを同年七月右町会に売却される予定であったこと、被控訴人は右四筆の土地を昭和二一年ころ成城町会から借り受け、その土地上にマーケットの長屋四棟を建ててこれを他人に賃貸していたこと、その後昭和二三年四月成城町会が購入予定であった右四筆の土地を被控訴人が成城町会から引き継ぐ形で訴外会社から買い受けたこと、本件土地は、もともと、西隣の二八九番一八とは五、六〇センチメートルの高低差のある崖で明確に区別されていたが、本件土地とは高低差や境界石等の標識がなく、接続する一体の土地として使用され、被控訴人も本件土地が国の所有する道路用地であることを知りながら右マーケットの賃借人が商売や生活に必要な土地として使用するに任せていたことが認められる。〈証拠略〉は本件土地付近の二九〇番、二八九番、二九二番の土地売却について訴外会社が作成した帳簿であるが、契約者、地番、坪数、代金等が詳細に記載され、その内容が事実に合致した正確なものと認められるところ、これには本件土地の東に接する被控訴人の買受け土地(本件外土地)と西に接する大沢喜与次の買受け土地(二八九番一八)のことが記載され、いずれも登記済である旨記載されているが、本件土地についての記載は一切存しないことが認められる。

これらの事実を考慮するならば、被控訴人が訴外会社から本件土地を買い受けたという被控訴人の前記供述部分も信用することができず、他に、被控訴人が本件土地を右会社から買い受けた事実を認めるに足りる証拠はない。

それゆえ、被控訴人の主張は失当である。

三  次に、取得時効による所有権取得について判断する。

先に認定したとおり、被控訴人は本件外土地を賃借したころ本件土地が東京都の管理する国所有の道路用地であることを承知しながら本件外土地の隣接地としてこれを事実上使用し始めたものであり、占有の開始当初、それが他主占有であることは被控訴人の自認するところである。

被控訴人が昭和二三年四月ころ訴外会社から本件外土地を買い受け、同年五月六日にその旨所有権移転登記手続がなされたことは前記認定のとおりであり、右売買契約に本件土地が含まれていないことも既に説示したとおりである。そうすると、右売買契約に基づき訴外会社から引渡しを受けたのは、売買の対象である右四筆の土地のみであり、右四筆の土地の占有が自主占有に変更されたことは明らかであるが、売買の対象でない本件土地については他主占有から自主占有に変更されることはないというべきである。

しかも、本件土地の所有権取得の有無については前認定のような経緯があるうえ、〈証拠略〉によれば、被控訴人は昭和四二、三年ころ本件土地とそれに隣接する被控訴人所有地との境界確定をしようと考え、公共用地境界査定願い書を作成したが(境界査定手続をしようとしたことは、被控訴人の認めるところである。)、本件土地の西側隣接地の所有者大沢方の協力が得られず、境界確定はできなかったこと、原審証人大沢東の証言によれば、大沢東の父大沢清喜与次(昭和四八年二月四日死亡)が生存中に大沢と被控訴人との間において国から本件土地を払い下げてもらおうということになったが、本件土地をどのように分割するか、または双方が取得する範囲等について合意ができずに、払下げの話は中断したこと、〈証拠略〉によると、本件土地の西側隣地所有者と国との訴訟(昭和六三年一二月一二日の口頭弁論期日)において、被控訴人は本件土地がいわゆる赤道であることを前提として弁論をしていること、原審における被控訴本人の尋問結果によると、被控訴人が訴外会社に対し本件土地の所有権移転登記手続を請求していないことがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。これらの事実によれば、被控訴人は、本件土地を所有の意思で占有していたものとは認め難い。

その他、本件土地について他主占有から自主占有に変更された旨の主張はなく、本件全証拠によるも本件土地について他主占有から自主占有に変更されたことを認める証拠はない。

それゆえ、被控訴人の時効による所有権取得の主張は、その余の点について検討するまでもなく、失当として排斥を免れない。

四  よって、右と結論を異にする原判決は正当でないから取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡田潤 根本眞 安齋隆)

【参考】 第一審(東京地裁 昭和六二年(ワ)第九三〇四号 平成二年一一月一三日判決)

主文

一 被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の土地につき、昭和二三年四月七日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二 訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告は別紙物件目録一記載の土地につき保存登記手続をしたうえ、原告に対し所有権移転登記手続をせよ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 別紙物件目録記載一記載の土地(以下「本件土地」という。)は、もと被告が所有し、東京都が管理する道路であったが、公図上いわゆる赤道として表示されており、現在でも保存登記がなされていない。

2 売買による所有権取得

(一) 別紙物件目録二ないし五記載の土地は、昭和一七年ころ訴外東京急行電鉄株式会社(以下「訴外会社」という。)が所有しており、これらの土地の西側に隣接する本件土地は、昭和二三年ころまでに訴外会社が交換により東京都から所有権を取得していた。

(二) 昭和二三年四月ころ、原告は訴外会社から本件土地を含む右土地全部(別紙物件目録一ないし五記載の土地)を買い受けた。

3 取得時効による所有権取得

(一) 原告は、昭和二三年四月七日ころ、本件土地につき占有を開始した。

(二) 原告は、2(二)記載の売買契約の際、訴外会社から、本件土地は、訴外会社が以前所有していた東京都世田谷区成城六丁目二九〇番三の土地を道路敷として東京都に提供するのと交換に東京都から所有権の移転をうけているが、移転登記手続が未了なのでそれが終了次第原告に所有権移転登記する、との説明を受けた。

当時、右二九〇番三の土地部分は既に一般用の道路として使用されていた。そのため原告は、本件土地についても別紙物件目録二ないし五記載の土地とともに買い受けたものと過失なくして信じていた。

(三) 原告は昭和三三年四月七日本件土地を占有使用していたので、同日をもって時効により本件土地の所有権を取得した。

(四) 原告は昭和四三年四月七日本件土地を占有使用していたので、同日をもって時効により本件土地の所有権を取得した。

(五) 原告は被告に対し、昭和六二年九月七日の本件口頭弁論期日において、右時効を援用する旨の意思表示をした。

4 よって、原告は被告に対し、所有権に基づき、本件土地につき保存登記をしたうえ、原告に対し右売買又は時効取得を原因とする所有権移転登記手続をすることを求める。

二 請求原因に対する認否と被告の主張

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2(一)の事実のうち、別紙物件目録二ないし五記載の土地が昭和一七年ころ訴外会社の所有であったことは不知、その余は否認する。同(二)の事実のうち、原告が本件土地を買い受けたことは否認し、その余は不知。

3 同3(一)、(三)、(四)の各事実は否認する。同(二)の事実は不知、無過失との主張は争う。

4 被告の主張

本件土地は、いわゆる里道(赤道)として公図上赤色で表示されている国有地であり、国有財産法上の公共用財産であるから、明示又は、黙示の効用廃止がない限り時効取得の対象とならない。

三 被告の主張に対する認否と反論

被告の主張は認めるが、本件土地は、原告による占有開始当時もはや通行の用に供されておらず公共用財産としての機能、形態を全く喪失していたものであるから、本件土地について黙示の公用廃止があったものとして時効取得の対象となる。

理由

一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二 請求原因2(売買による所有権取得)について判断する。

〈証拠略〉によれば、別紙物件目録二ないし五記載の土地はもと訴外会社の所有であったところ、原告は、昭和二三年四月ころ、訴外会社から右各土地を買い受けたが、その売買契約の際、訴外会社から、右各土地の西側に隣接する本件土地につき、「赤道になっているがこちらで交換手続をやってあげる。」との説明を受けたことが認められるけれども、右事実をもって、同年ころまでに訴外会社が本件土地の所有権を取得していたことまでを認めることはできず、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、訴外会社が本件土地の所有権を取得したことを前提とする原告の売買による所有権取得の主張は理由がない。

三 請求原因3(時効取得による所有権取得)について判断する。

1 昭和二三年四月七日の占有開始について

〈証拠略〉によれば

(一) 本件土地を含む別紙物件目録一ないし五記載の一帯の土地は、昭和一七年当時、その北側が道路、南側が小田急電鉄株式会社の線路用地になっており、本件土地は当時農園として使用されていたこと、

(二) 原告は、訴外会社との間の前記売買契約締結の二、三年前(昭和二一年ころ)から、本件土地を含む別紙物件目録一ないし五記載の土地を借り受け、本件土地を除く土地上に木造二階建の長屋四棟のスーパーマーケットを建てて使用していたこと、そのうち、本件土地の東側に隣接する土地上の長屋では、北側の道路に近い方から牛乳屋、菓子屋、古物屋などが営業されていたこと、

(三) 本件土地部分は上空に高圧線が通っていたため、建物はなく空地となっており、その南側部分には木が植えられていたが、北側部分は右マーケットの賃借人らにより洗い張りの物干しや牛乳屋の空箱や牛乳瓶等が置かれていたこと、そのため、本件土地は道路として通行には使用されていなかったこと、

(四) 本件土地とその西側に隣接する土地との間には五〇ないし六〇センチメートルの段差があり、西側の土地が低くなっていたが、昭和二一年ころには、その境界線に沿って、北側から半分位までの部分に訴外会社が設置したものと考えられる大谷石の塀があり、別紙図面表示のイ点に境界杭があったこと、境界線に沿って南側半分には昭和三〇年代中頃、原告が西側隣接地所有者である大沢喜代次立会のもとに大谷石の塀を設置し、その際、別紙図面表示のロ点にも境界杭を入れたこと、

(五) 昭和三七年から三九年ころにも、本件土地の東側には、以前と同じ原告所有の長屋があり、北側から順に牛乳屋、焼鳥屋、おでん屋、染物屋が入り、本件土地は原告所有の長屋建物の右賃借人らが原告の承諾を得て洗濯物干し場として使用したり、竹を渡して洗い張りの反物を干すのに使ったり、牛乳屋の空箱や牛乳瓶、おでん屋のビールのケース等が置かれており、人が通行することはできなかったこと

以上の各事実が認められ、証人大沢東の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右各事実を総合すれば、原告は、原告が訴外会社から別紙物件目録二ないし五記載の土地を購入した昭和二三年四月七日の時点において、本件土地を自己所有のスーパーマーケットの敷地の一部として、所有の意思をもって占有を開始したものと推認することができる。

もっとも、〈証拠略〉によると、本件土地の西側の土地の所有者であった大沢喜代次と原告との間で国有地の払下げに関して話をしたことが認められるが、その時期も明確でなく、右事実によって右認定が妨げられるものではない。

2 右占有開始における原告の無過失について

前記二認定の事実によれば、原告と訴外会社との間で別紙物件目録二ないし五記載の土地の売買をする際、これらとともに本件土地も売買契約の対象とする趣旨の話があったことを推認することができる。しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、右売買契約において、代金額の決定に際し本件土地の分まで含んで算出されたものか否かははっきりしないし、他方、原告は売買契約締結に当たって土地の登記簿、土地台帳、旧公図等を一切見ておらず、登記移転手続についても一度も訴外会社に請求したことがなく、すべて同会社に任せきりであったことが認められ、これらの事実を総合すれば、仮に原告主張のように、訴外会社が本件土地と交換したという二九〇番三の土地が既に道路として使用されていたとの事実が存在したとしても、原告が本件土地についても売買により所有権を取得したと信ずるにつき無過失であったとは認められないというべきである。

そうすると、昭和三三年四月七日をもって本件土地の所有権を時効取得したとの原告の主張は理由がないというべきである。

3 昭和四三年四月七日当時の占有について

〈証拠略〉によれば、昭和四二年五月ころの本件土地の占有使用状況は、前記1(五)認定の状況と変わらず、原告は昭和四三年ころ本件土地の東側に地下一階、地上八階のビルを新築し、その際本件土地の地下に防火貯水槽を設置したこと、昭和六三年一〇月四日現在も本件土地上にはその北側部分に原告所有の未登記建物が存在し、八百屋に賃貸されていること、その南側は本件土地の東側にある原告所有のビルのテナント達の自転車置き場となっていることの各事実が認められ、これらの事実からすれば、昭和四三年四月七日当時も原告が本件土地を占有していたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

4 請求原因3(五)(時効の援用)の事実は、当裁判所に顕著である。

そうすると、原告は、昭和四三年四月七日をもって本件土地を時効取得したものというべきである。

四 最後に、本件土地が時効取得の対象になるか否かについて判断する。

本件土地が国有地であることは当事者間に争いがないところ、公共用財産が時効取得の対象とされうるためには、行政主体による明示又は黙示の公用廃止があることが必要であり、黙示の公用廃止が認められるためには、そのものが長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、公共用財産としての形態・機能を全く喪失し、その物のうえに他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることもなく、もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなったといえるような事情が存しなければならない(最判昭和五一年一二月二四日)。そして、そのような事情の認められる財産でなければそもそも時効取得の要件としての占有の対象となり得ないものと解されるから、右要件は取得時効期間の起算点たる占有開始の時期に備わっていることを要するものと解すべきである。

この点に関し、原告は、本件土地につき占有を開始した昭和二三年四月七日当時、既に本件当地は公共用財産としての形態・機能を喪失していたと主張するので検討するに、前記認定のとおり、昭和二三年ないし二四年ころ、本件土地の南側部分には木が植えられており、北側部分には牛乳箱や洗い張りの物干しその他の品物が置かれていたこと、本件土地はほとんど人が通っていなかったことが認められ、以上の事実からすれば、原告による占有開始当時本件土地は既に道路としての形態・機能を喪失していたものと認められるから、黙示の公用廃止があったものとして取得時効の対象となるものと解するのが相当である。

五 結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒井勉)

物件目録

一 後記二及び三記載の土地の西側に隣接し、別紙図面表示イ、ロ、ハ、ニ、チ、イの各点を順次直線で結んだ範囲の土地 七五・八一平方メートル

二 東京都世田谷区成城六丁目所在二九〇番一一

宅地 六六・一一平方メートル

三 右同所所在二九〇番八

宅地 一七一・九〇平方メートル

四 右同所所在二九〇番一二

宅地 一二五・六一平方メートル

五 右同所所在二九〇番九

宅地 三二三・九五平方メートル

東京都世田谷区成城六丁目弐九〇番地八外現況測量図〈省略〉

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